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冒険者が死ぬ1(コール)

2024-12-28

 地を揺るがす咆哮。
 それを跳ね返す華麗な剣さばき、眩く辺りを焼き尽くす魔法、しぶとく勝ち取った完全なる勝利と栄誉。
 未知の世界と無限に続く旅路、そこに待ち構える心躍る冒険。
 ――貴族社会から抜け出して飛び込んだ世界は、しかしそう夢のある日々ではなかった。
「……はあ」
 コールはひとつ溜息をつく。今日の依頼も失敗だった、という落胆の表情は、彼のいるカウンターから客を追い払うには十分だった。
 ゴブリンなどという下級妖魔の討伐依頼を受け、そして逃げ帰ってきた。今日の成果はそれだけだ。しけた面を見かねた斡旋所の受付によれば、命があるだけ十分とまで言われるではないか。
 そうじゃない。そうじゃないんだ――思わず飛び出た言葉を思い返しながら、何杯目かのエールを口にする。
 お偉方の側仕えをしてかれこれ二十年ほど、当事者でなくとも嫌気の差す環境からついに逃げ出した。馬車を乗り継いで到着したのは、交易が盛んで活気あるこの地。余るほどあった金をこれ幸いと装備類につぎ込み、支度を整えた。
 順調なのはスタートダッシュまでだった。むしろそれすら相当恵まれていた立場なのだと、今では分かる。
 ここは冒険者の多い街だ。斡旋所を兼ねた旅人向けの宿がいくつもあるし、外を出歩けばいつでも武装した姿とすれ違う。街中で見かけるのは、英雄譚として語られるような立派な鎧姿もあれば、路地裏で座り込む襤褸切れ同然の姿もある。
 うまくいった姿があれ(・・)。うまくいかなかった果てがあれ(・・)なのだと、一目で分かった。
 あれはうまく立ち回っている。あれは町から出ていくのもそう遠くない……夢と希望だけで走り続けられる年齢ではないコールの目は、装いで冒険者を見定めようとするのが癖になった。あわよくば、自分はそれから外れようというのだ。しかし、この〝審美眼〟はあながち間違ってもいないのではと思う。
 初めて斡旋された採取依頼で同行した、過剰な正義感を持て余している若い男――あれはきっと早死にするぞ、と、そう変わりない新人の立場ながら感じたものだ。同じく同行したやたらと採取のうまかった爺さん、あれはきっと何だかんだでもっと長生きする。
 自分はうまくやらねばならない。少なくとも、初級の討伐依頼で失敗している場合ではないのだ。
「……」
 誰にともなく頷く。決意と形容するには、コールの姿はいささか寂れていた。

「あっ、おじさん! この間依頼で一緒だった?」
 斡旋所で快活に声をかけてきたのは、先日のゴブリン退治で同行した少女だった。どことなく船乗りらしいさっぱりとした軽装、背にかけた小弓も先日と同じだ。
 どうやら斡旋のシステム上、駆け出し同士で顔を合わせる機会が多いらしい。まだたった一度関わっただけの少女は「やっぱりそうだ」と人懐こく笑っている。
「やあ、こんにちは。あれ以来で」
「うん! 今日も一緒なんだね、知り合いがいると心強いよ!」
「ああ……うん、そうだね」
 コールは勢いに押されて頷いた。『知り合い』。自分より年下――どころか、我が子のような年齢の相手だ。なおさら辛気臭い顔はしていられまい。
「よろしく。僕はコールだ」
「あたしメイピー。今日も頑張ろうね!」
 快活な振る舞いに、対面するだけで士気も上がる。半ば押し上げられる形のそれも、一応やる気には違いない。
 与えられたのは討伐依頼だった。馬車で数刻の場所にある森林、ゴブリンの小さな群れ――と言っても二体しか確認されていない――により、他の新人冒険者が既に敗退済み。リベンジを図るにはまたとない機会だ。
 乗り心地がいいとは言えない馬車に揺られながら、コールとメイピーは地図を確認する。
「この森は一本道、なんだよね?」
「そう言ってたね。行けそうな脇道もあるけど、中央の道のほうが広いって……」
 前情報を復唱しながら、紙面に薄く示された線をなぞる。ぎこちないと自分でも分かる。
「迷う心配はなさそうだね。討伐に集中できそうだ」
「うん! あたしが前を行くから、コールさんは後ろをお願いしてもいい?」
「……君が前で大丈夫? 弓の射程とかは……」
「大丈夫、あたし身軽だから、罠もすぐ(・・)だよ。魔物を見つけたら下がるから、そしたら交代!」
 メイピーは胸を張って答えた。大げさなような一つひとつの動作が微笑ましい。
「ああ、なるほどね。いつでも戦えるようにしておくよ。お願いします」
「うん!」
 退屈な旅の中、作戦だけはどんどん決まっていった。イメージがあるに越したことはない。思い付く限りの危険な事態を挙げて、二人で対処を考えていく。依頼とは無関係に熱中し始めた頃、ようやく馬車は止まった。
 降りてしばらく歩いた先には、のどかな森が広がっている。柔らかな日差しが周囲を照らし、そよ風に木々が揺れる景色だ。時たま顔を出す野生動物は、人の気配に慌てて離れていく。
 今から吟遊詩人が歌う舞台だと言われても違和感がない、まるで絵本のような風景だった。
「綺麗な森だね」
「ねー。これは気持ちよく過ごせるかも……」
 二人、声量を落として呟く。まだ森に入ったばかりとは言え、どこから敵が出てくるか分からない。平常時はやや呑気そうな振る舞いをするメイピーも、約束通り警戒モードに入っているようだった。
 冒険者としては文句ない振る舞いをしていたことだろう。彼らの姿を熟練者に見せたとしたら、新人にしては、と枕詞付きでも褒め言葉が来るに違いない。
 しかし、一つ足りないことがあった。

 英雄は力を持つから英雄なのである。
 それが先天的であれ、努力の賜物であれ、英雄であること自体には変わりない。ただ一つ分かるのは、自分がその器でなかったということだ。
 ようやく、コールにもそれが分かった。高い勉強代だった。なんせ、文字通りに命を賭けたのだから。
 しつこく打ち付けられた脚では、立ち上がるどころか寝返りを打つことすらままならなかった。血だまりに浸る自分の体がどういう状態なのか、もはや確認したくもない。辺り一帯は真新しい血の匂いばかりだし、風もないのに嫌な寒気がする。
 視界の隅に横たわっているメイピーは、取り落とした短剣を這って掴んだきり、ぴくりとも動いていない。彼女の体もおびただしい血の跡を地面に残している。多分、既に死んでいるのだと思う。
 まだ語り切れない夢があっただろうに、かわいそうな少女だ。でもこればかりはどうしようもない。互いの力が足りなかっただけだ。己の身を守る力すら。
 コールはだんだん霞む意識の中で、意外と未練はないかな、などと考えた。
 死を迎えての境地だろうか。今更抗う気にはなれなかった。駆け出し程度でリタイアすることは残念だが、やりたいようにやってこれだから諦めも付く。しかし。
 きっと、もっと早い段階で自分を奮い立たせられるのが英雄なのだ。気付くのが遅かった。コールはそう、自嘲気味な笑いを浮かべた。

2023年10月より前に書いていたやつ。