毎日が全く物足りなかった。
地味な採取だとか、活躍のない下級妖魔討伐だとか、そういう仕事はもう飽き飽きした。そうじゃなくて、もっと気持ちの盛り上がる依頼をこなしたい。
金も名誉もいらない。凶悪な魔物を打ちのめし、はびこる悪を成敗する、そういう依頼を請け負いたい。
――メンドの煮えたぎるほどの意欲は、今日も叶えられなかった。
田舎に生まれて、田舎の少年らしく育った。働き手として認められる歳に、村唯一の自警団に参加し、厳しい訓練をこなして過ごした。悪い場所ではなかったが、治安維持に貢献できる出来事はただの一度もなかった。やがて平和呆けしているとも言える故郷を出、往来の多いこの都市を訪れたのは、間違っていなかったと思う。
団員としての振る舞いは今も染みついている。体力は十分あるし精神力も鍛えられている。何より、並のことではくじけないという自負があった。ただその能力は未だこの地で発揮されず、無駄に持て余していると言ってもいい状態だ。
斡旋所の受付は、ある程度実力を見るだとか言って、簡単な依頼しか回してこない。これ以上確認すべき事項があるのだろうか、メンドは不満だった。思い上がりではなく、もっと難度の高い依頼だってこなせるはずだ。
つまるところ、こんなメモ一つで済むような買い物の代行依頼なんて、やっている場合ではないのだ。
「鉱石ね。何色だい」
「青と緑の間。縦の模様があるって」
「ああコレだね、ほら。ちょっとくらい手荒にしても問題ないけど、傷はつけないよう気を付けなさいな」
「ありがとう、おばさん」
「お姉さんね!」
愛想と恰幅の良い店員に見送られ、雑貨屋を出る。
多忙な魔術学者だとかいう依頼人に買い出しを頼まれた品は、どれも街外れの店にしかない、変わった品ばかりだった。数センチ刻みの糸一束、半分に割れた貝殻、葉っぱを溶かした濁った水、傷を付けると淡く発光する石――こういうがらくたをいったい何に使うのか、見当もつかない。普段は訪れない地区だから自分の買い物も、とは思ったものの、どの店にもメンドの役に立ちそうな物はなかった。せいぜいが気まぐれで買った肉の揚げ串くらいだ。
今日一日はただの使いっぱしりで終いかもしれない。買い出しメモをたたんで、ため息にも近い息を吐いた時。
「……ん?」
ふと路地に動く影があった。メンドのことを見ていた何かが、今、引っ込んだ。猫だろうか、数歩先の角を覗く。
いたのは人間だった。
「わっ」
顔を出したメンドに驚いて、小さな悲鳴を上げて後ずさる。藁みたいな長髪を散らかした少女で、その痩せぎすの薄汚い見た目からして、浮浪児だ。
「……別に何もしないよ」
メンドはなるべく柔らかい声色を心がけて語り掛けた。庇護対象に等しい子どもをわざわざ脅すのもはばかられる。
少女はおそるおそるといった上目遣いで首を傾げて、メンドを見上げる。
「……本当?」
「本当。誰かいたと思ったから、確かめに来ただけ」
少女は歩み寄ってきた。ぎこちないながら、臆面もなく真っすぐ。物乞いらしさどころか、幼年に特有の素直さに見える。
「あのね……ごはん、持っていたから……」
「飯? ああ……」
肉の揚げ串。さては屋台で買うところから見られていたのか。
油の染みた紙包みから一本を取り出すと、むっと分厚い匂いが広がった。揚げたてで手渡されたときは、熱すぎて食えやしなかった。
「腹減ってねーし食う気分じゃなくて……ちょっとかじってるけど、いるか?」
「いいの?」
「食いたいやつが食うほうがいい」
串を差し出す。少女はしげしげと眺め、つばを飲み込み、まるでコップ一杯の水を慎重に保つように、両手で受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
少女はそれきり、串を握りしめたまま、動かない。
メンドにも人影を確かめる以上の目的はないから、もう互いに用事はないだろう。じっと据わった視線に見送られつつ路地を戻る。曲がり角に差し掛かる時、肉に歯を立てている姿があった。
報酬とともに告げられる礼と善行のこれ、どちらの気分がいいかは微妙なところだ。メンドはそう思った。
*
予想した通りで、少女は近くに住み着いている浮浪児らしい。直接そうかと尋ねたわけではないが、同業いわく「いつもぼろを着て」「いつも全身が薄汚れている」「あの辺に数人住み着いている」……ので、間違いはなかった。
そして、いつも食事に目ざといという。
なるほど、と思う。
「……うまいか?」
少女は頭を大きく動かして頷いた。口は咀嚼に忙しく、しばらく返答は返らない。いや、元々無口な浮浪児だ。
~途中ないです~
連れられて歩くことしばらく。二人は狭い角でようやく立ち止まった。メンドは窮屈に身をかがめるようにして、手招きに歩み寄る。
中央部から少し角を曲がっただけの場所でも、日の差さない路地は寒気がするほどひんやりと肌寒かった。
「何だよ、こんなところまで来て。お前たち裸足でよく歩けるな」
「あのね……内緒の話なの」
「あのね、お願いがあるんだけど」
「おう、何だ? 何でも言えよ」
「あのね……」
突然、腹部が熱くなった。何かと下に目をやれば、自分の腹からナイフが生えている。
これは何だ?
「……はは、ほんとだ。ちょろいね」
「言ったでしょ。絶対油断してくれるって」
笑う二人が視界に映ってもなお、何が起きたのか分からなかった。
「ありがとお兄さん」
「うぐ……!」
勢いをつけて突き飛ばされる。なぜか足に力が入らず、メンドはそのまま地べたに転がった。鎧と石畳とでこすれる嫌な音が耳に届く。なんとか体勢を変えて見上げると、姉妹は相変わらず笑っていた。
「あのね、お兄さん」
「あのねえ、この間採ってきてもらったの。あれ、少し料理すると、すごく染みる薬になるのよ。あんまりうまく作れないけど」
「痛いんだって。でも大丈夫、すぐ静かになれるの。うちのリリーもそうしたんだよ」
自分に向けて語り掛ける声が、いやに遠い世界のように感じられた。
何を言っているか分からない。分かりたくない。だって、俺は二人のために手伝いをして、二人もありがとうと言ってくれて……。
「泣いてる。やっぱり痛いんだ」
「大丈夫、すぐに治るから」
「なん……何で……」
かろうじて発せたのは、言いたい言葉の一割もなかった。しかし二人は――考えたくないことに――その問答にも慣れているのか、返ってきたのはメンドの意図をしっかり汲み取っての言葉だ。
「なんでって」
「だって……丁度いいじゃん。ねえ」
「あのねっ。お兄さんみたいなお洋服とか、武器、すごくよく売れて、そしたらたくさんご飯が買えるの。いいでしょう」
「俺、は……もっと……」
もっと他の方法があるのに。少なくとも俺がいれば。――言葉を返す気力も最早ない。代わりに力なく伸ばした手は、ざり、と石畳に擦れるだけだ。
不思議と、だんだん痛みが引いてきた。同時に視界も霞んでくる。
「おやすみお兄さん」
「おやすみね」
最後に聞こえたのは、慣れ親しんだ挨拶だった。
2023年10月に書いたやつ。