酒の肴代わりに聞いたのは、街外れの納屋で怪奇現象があるという話だった。
魔物の多いこの土地では、不審な目撃情報が集うことは少なくない。ただし、その原因の多くは不審者であったり、珍しくもない動物や魔物であったり――つまらぬ理由で発生していることがほとんどだ。特に、街近くでは。
サディが聞きつけたのも、そういう類の話だ。語り手である酔っ払いの脅かすような口調に乗ってやるほど親切ではないが、無視するわけにもいかない。危険があるならば、対処しておかねばいずれ民間人に被害が出るだろう。ついでに、討伐を治安隊に知らせれば相応の報酬も出る。
先立つものがあるに越したことはない。そういうわけで、依頼帰りの祝杯もそこそこに腰を上げた。「色気もねえ朝帰り予定か」と飛んでくる野次をかわして、酒場を後にする。
*
噂に聞いた納屋は山道と街道の境に位置していて、つまりほとんど野外の環境だった。こういう場所は野党が根城にしていることも多く、戦闘慣れしたサディでも手を焼くことが予想できる。
だが、素直に真正面から踏み入るなんてのは馬鹿のやることだ。己は安全な場所から、確実に敵を減らす――それが、熟練冒険者として名を馳せるまでに得た教訓だ。
まずは納屋の周辺を慎重に見回る。明かりを消したまま数歩の距離を置き、内部の気配を探る。廃墟じみた空間に物音はないものの、強い魔力の塊が感じられた。中にいるのは、人ではない。魔物か。それも、実体を持たない類の。
剣を抜く。駆けだしとして戦い始めて以来、一度たりとも手放したことのない愛武器だ。特殊に磨き上げられた刀剣は、サディの持つ魔力と相性がよく、その力を二、三倍増させる。
「五つの書架の柱、硝子に通る月明の歩、守り人の家は安らぎにあり、白ばみのシダル・ワーレスの名により、清冽な水を囲いに満たさん。……」
詠唱と共に刀身を撫でれば、冷たい白銀の光を放つ。浄化の術が向かう先は、――未だ沈黙を守る納屋へ。光の軌跡が弾ける。
予想に反して、付近は静まり返るままだった。
今放り込んだ魔力は、無言の我慢比べがかなうような力ではない。霊体がいれば身を裂かれる断末魔が上がるはずだし、そうでないならうろたえる声の一つくらいは聞こえてもいいはずだ。
……では、何もいないのか?
慎重に剣を構えたまま、足音を伏せた一歩を踏み出した。気配を殺し、集中を研ぎ澄ませる。いつでも、殺すべき相手を殺せるように。一瞬だけ息を止めたのは戦闘に備えるためだ。朽ちた扉を蹴り開ける。
部屋には何もいない。霊体や類する存在は、という意味で。だだっ広い部屋、その床に複雑な魔法陣が広がっている。
見えた。水が溝を伝うように、光が模様の上を走って光り輝く。――まずい。
咄嗟に飛び退いた足が、うねる渦に捕らえられた。
死ぬ予定でしたが力尽きました。続きません。